ユーリが急の命を受けたということで、代わりにプリンセスの付き添いをすることになった騎士団長は、東庭園の石段の途中で立ち止まっていた。腕にプリンセスを抱えて。
「…びっくりした。ありがとう、アルバート」
プリンセスはアルバートの腕にしがみついて、ほっと息をついた。
何故か突然急いで階段を上り始めたプリンセスは、3分の2ほど上がったところで勢い余ってドレスの裾を踏みつけ、バランスを崩した。数段下がってついて来ていたアルバートは2〜3段飛ばして駆け上がると、転げ落ちかけた彼女の体を抱きとめたのだった。
「あの…」
プリンセスは小さく呟いた。
「もう大丈夫なんだけど…」
結果として抱きしめた状態のままだったことに、はっと気づいて腕を解いた。
「気をつけてください」
プリンセスから顔を反らして眼鏡を指で押し上げる。
「そんなに慌てることもないでしょう」
「ごめんなさい」
プリンセスがこちらを見つめているのはわかったが、どうにも顔を向けられない。柔らかな体の感触だとか、間近に見えた白い項だとかというものは。なんと心臓に悪いことか。
「久しぶりの外だったから、つい嬉しくて。…あ」
言葉の止まったプリンセスに、アルバートはようやく彼女の方を向いた。
「靴が…」
プリンセスは階段のはるか下を眺めていた。そこには彼女の白いミュールが転がっている。下を見たまま動かないプリンセスに、アルバートは気づいた。
…取りにいけということか?
「…いいでしょう。待っててください」
プリンセスさ加減にも程がある!と若干苛立ちつつもアルバートは階段を下り始めた。そしてミュールを拾い上げたとき。
「靴なんていらなーい!」
プリンセスの声が降って来た。アルバートは振り返り見上げた。両手を腰にあて、けらけら笑うプリンセスの姿が階段の一番上にあった。光を浴びて、長い髪が金色に煌めく姿に目を細める。
「アルバートにあげるわ」
しかも、もう片方のミュールも脱ぐとこちらに向かって放り投げて来た。
「おい!」
思わず声を荒げてしまったが、それは当然だ。
「じゃあね!」
口元に手をあててそう言い放ち、プリンセスはくるりと踵を返して庭園の奥に走り出した。
わざと靴を取らせにいかせて、逃げようとするのか。冗談じゃない!彼女が投げて寄越した方のミュールも拾うと、アルバートはプリンセスを追いかけた。
階段を一気に駆け上がって周りを見渡してみたものの、プリンセスの姿はとうに消えていた。
「どこへ行ったんだ」
吐き捨てるように呟いてひとつ息をつくと、周囲の植え込みの様子を見ながら奥へ続く煉瓦の小道を歩き始めた。どうせ裸足だ、まともに走ることはおろか歩くこともまともに出来ないだろう。 大人げない。まったくもって大人げない。プリンセスとはレディの手本となるべき存在なのではないか?
初めて見たのは。主君に同行したセレモニーのときだ。追い詰められた小動物のような怯え方と、か弱さばかりが目についた。ウィスタリアは何を思ってこんな庶民出の娘をプリンセスにするのかと、唖然としたのが正直な気持ちだ。上辺だけを飾った人形のようなプリンセス。
それは先日の再会時に見事に覆り、更に
「こんな跳ねっ返りだとは思わなかった!!」
と、忌々しげに片手に持ったプリンセスの靴を睨んだ。
こうも見事に姿を晦ますことが出来るとは呆れた身のこなしだ。すぐに捕まえられると思ったが、予想に反して一向に見つからない。
小さな白い噴水盤の手前でアルバートは立ち止まった。この先は二股に分かれている。左は林へ(その先は東城門に続いている)、右はそのまま庭師の小屋に辿り着く。それをプリンセスが知っているとは思えないが、多分人の気配のない方に向かうだろう。
進むとしたら左か、と歩き始めようとしたとき。
背後の木が僅かに揺れた。
「そっちじゃないわ」
プリンセスの声だけが響いた。咄嗟に振り返って見渡すものの、姿はどこにもない。
「こ〜こ。こっち」
別の方を振り返る。
「違うってば。こっちよ」
笑いを含んだプリンセスの細い声が、風にまぎれてアルバートの耳に届く。なぜか高い位置から聞こえるような気がする。嫌な予感しかしない。
「プリンセス!隠れてないで出てきて…」
植え込みの奥の大きな木の枝に金色に煌めくものが一瞬見えた。ガサガサと葉の揺すれる音がする。
木に登っていたのか!アルバートは呆気にとられた。 いくら庶民出といっても仮にもプリンセスとあろう者が、木登りなんかするか?プリンセスでなくとも庶民だとしても、それなりの年齢の女がすることとは思えない。
やがて草葉を踏みつけて飛び降りた音が聞こえ、人の姿らしき気配がした。アルバートのすぐ側に、蔓性の大きな茂みがあった。垂れ下がる枝々には小さな白い花がたくさん咲いている。多分薔薇の仲間なのだろう。城内の庭園では、これまでこのような花を見かけたことがなかった。彼はこの花の名を知らない。
そしてその枝をかき分け、白い花々の中からプリンセスは現れた。
「どうしたの?」
アルバートの瞳に映ったのは、初めて見る彼女の笑顔だった。
to be continued...
初出:2013年9月17日