Sep 8, 2014

Per te sogno non finito

黝い無地の空に下弦の月が昇り始めた頃。
それは騎士団長アルバートの、予定外の些末な案件が重なりに重なった公務が片付いた時間だった。控えの従騎士を先に下がらせ、ひとり執務室の扉を閉じる。
本来ならば星見の晩餐に出席する筈だったのだが、それは国王主催のものではなく急ごしらえの文官の宴であったので、アルバートがそれを優先させる必要はなかった。
必要はなかったはずだが。
静まり返った長い廊下を歩きながら、彼はふと立ち止まった。眼鏡をそっと指で押し上げて、窓の外を見つめる。
朧な光が中庭を藍色に染めていた。深更の空には願いを叶える星の姿は既にない。東の空に浮かぶ月が放つ淡く青白い光が、その姿を消してしまったのだろう。
半分に欠けた月の姿は冴え冴えと遠く、つい彼女の横顔を重ねてしまった自分に苦笑する。彼女はもう眠りについた頃だろうか?


自室に戻り、服を着替えようと寝室の扉を開けようとしたとき。いつもと違う雰囲気にアルバートは眉を顰めた。
静かに扉の取っ手をまわして、音を立てずに暗い部屋に入る。オイルランプの火を床燭台に移すとぼんやりと明るくなった。
そして。ベッドの上を見た瞬間、アルバートは首を横に振り大きく嘆息した。
ベッドの真ん中に窓側を背にし緩く手足を丸めて、すやすやと寝息まで立てて眠るプリンセスの姿がそこにあった。
寝間着の上にガウンを羽織っただけという、プリンセスにあるまじき格好で。他人の、それも男の部屋に、更に真夜中に、勝手に入り込んで眠っているとは何事だ。
とはいえ、さすがにアルバートにも察しはつく。晩餐会に出なかったのが気になったのだろう。朝まで待てなかったのか。彼女は自分の行動がどういうものか、わかっているのだろうか? 胸の奥を掴まれるような感覚が、アルバートにやるせない笑みを浮かべさせた。
再び一つ息を吐き出すと、ベッドの上のプリンセスを見下ろす。
主に断りもなくお行儀良く枕の上に足を乗せて、つまりは彼女は逆さまの位置で寝ているのだが。シーツに広がる長い金の髪は幽かな灯りに淡く煌めき、無防備に横たわる体の曲線のその先の、ガウンの裾が乱れて裸足の足首から白いふくらはぎが覗いていた。
つい、と目を反らしサイドテーブルを見やると、トレイに瓶とグラスが2つ置かれているのに気づいた。ワインのボトルかと思ったが、それは見た事もない琥珀色の瓶で、ラベルには異国の文字が書かれている。グラスの片方の底にはそのボトルの中身と思われる液体が残っていた。
待っている間に飲んでいたのだろう。

嵌めていた革の手袋を外し、続いて剣帯を外して椅子に置き、重い外套を脱いでそれも椅子の背に掛けた。
「プリンセス」
そっと声をかける。
何も反応がない。ベッドに膝を付いて上がると彼女の顔を覗き込んだ。
「起きてください、プリンセス」
軽く肩を揺すってみる。くぐもった声の混じった吐息が漏れ、長い睫毛が震えたものの伏せられたままで開く気配がない。
「プリンセス?」
もう一度肩に手をかけると、彼女は手を少し伸ばしたかと思えば体を捩って、アルバートの反対側を向いてしまった。
熟睡しているのか。そして寝相が悪いのか。そっと顔を覗き込むと、彼女の吐息がふわりと鼻を掠める。微かなアルコールと、甘く柔らかな花のような匂いがして引寄せられる。
「…ん」プリンセスが小さく息をついた。アルバートは慌てて体を起こし、声をかけようとしたが。
また、ころんと彼の向こう側へ寝返りをうってしまった。本当に寝ているのだろうか。
「おい」
先ほどまでとは違った、低い声で呼ぶ。
「プリンセス」
声をかけた途端、プリンセスは更にもう一回転して、アルバートから離れる。肩が小刻みに揺れていた。
「目を覚ませ、プリンセス」
アルバートはプリンセスを起こそうと、手を伸ばした。が。こちらが見えない筈の彼女はするりとその手を躱して再び体を捩って逃れようとし。
ベッドの上から姿を消した。
正確に言えばベッドから転げ落ちた。
ごつんと鈍い音がし、小さなうめき声がアルバートの耳に届く。
「…やれやれ」
ベッドの下から手が現れ、ひらひらと振っている。
「…おかえりなさい」
 ほんの少し掠れたその声は、甘い響きで彼の内をさざめかせた。


「まったく、貴女というひとは」
抱き起こそうとしたら、ぐいと腕を引っ張られプリンセスの体の上に倒れ込んでしまった。咄嗟に腕を付き、体重がかからないよう上半身だけ起こす。
「…だめ」
プリンセスの手がアルバートの頭をぐっと押さえ込む。こちらを見つめる青い眼差しに引き込まれるように唇を重ねようとすると
「…だめ、待って」
今度は口を押さえられた。一体なんなのだ。
「マリオン」
「うん…見て?」
 彼女の視線を目で追うと、それはカーテンが開いたままの窓辺に辿り着いた。
「ほら、月が見える」
先ほど見かけた半月が、窓の向こうの空高く浮かんでいる。
「ベッドの上からだと見えないけれど」
「ああ…」
「晩餐会のときは見えなかったのに」
「あの月は夜中にならないと見えない」
そうなの…、と呟くマリオンの口を唇で塞ぐ。一度重なった唇は離すのが難しく、何度も角度を変え深い口づけを繰り返した。床の上のマリオンの手がアルバートの首から背中へ絡み付き、やがて再びゆっくりと滑り落ちて行くまで。
「晩餐会で、変わったお客さまがいて」
ようやく口が自由になったマリオンは、思い出したように話し始めた。
「客…?」
彼女の細い指がアルバートの短い髪を梳き、彼の眼鏡の弦に触れた。
「眼鏡、外さないの?アルの目をすぐ近くで見たい」
「貴女が見えなくなってしまうから駄目だ」
 えー、と小さく頬を膨らめてマリオンはアルバートの眼鏡のブリッジを爪の先で弾いた。
「何をする」
 くすくす笑う彼女の鼻の頭を噛むように口づける。
「遠い国から船でやってきた方。アルのように黒い髪で、アルのような」
そこで一旦言葉を切る。マリオンの両手が確かめるようにアルバートの頬を撫でてゆく。
「…アルのような切れ長の目をしていたの」 
遥か東方の国からの使者が来訪したのは聞いていた。アルバートの公務に重なった案件の一つでもある。興味を持った国王がそのまま晩餐の席に招いたのだ。使者の風貌についてのマリオンの語り様が少々癪に障る。
「そして。月の話をしてくれたの、星じゃなくてね」
アルバートはマリオンの唇の横を掠めるように口づけ、そのまま頬から耳元にかけて唇を這わす。
「アルバート…」
やめて、という制止の呼びかけではなかったので、彼はそのまま首筋に顔を埋めたまま訊ねた。
「どんな話?」
「月には大きな宮殿があって、そのお庭にとても大きな桂という木が生えてるんですって。どれくらい大きいかっていうと…」
マリオンは体を捩った。
「くすぐったいってば。聞いてる?」
「聞いている」
首筋を辿って鎖骨へ。マリオンの肩が震える。
「眼鏡が冷たいの。外して?」
「嫌だ。貴女をよく見たいから」
アルバートはマリオンのガウンに手をかけた。ベッドの上に引き戻すことは既に頭になく、目の前の彼女を自分の内に閉じ込めることだけが彼を支配していた。
月には五百丈に及ぶ大きな桂の木が生えていて、
それをひとりの男が切り倒す為に斧をふるっているという。
男は過ちを犯して王の怒りに触れ、月宮に送られた。
その桂を切り倒す事が出来れば、男は地上に戻れるのだと。
だが、切っても切っても、翌日の朝には木の切り口が塞がってしまうので、
永遠に男は木を切り続けているのだという。
マリオンは、体を這うアルバートの指と舌に切なげに眉を顰め息を乱し、詰まりながらも言葉を紡いでゆく。
また、月に囚われたひとりの美姫が、地上に遠く離された恋人の元に帰る為に、
男に桂の木を切らせているのだという。
切り倒された木を辿って地上に降りられるのだとも。
「…その国に伝わる、古い古い話だそうよ…」
ようやく話し終えると、マリオンは堪えきれず息をつき、小さく喘いだ。
マリオンの潤んだ瞳がアルバートを見上げた。話している間中、与えられ続けた熱にその瞳を細めて彼の体に縋り付く。
「私なら… 自分の力で…会いにいくのにな…」
「貴女ならやりかねないな」
そういう自分は?アルバートは体を起こし、剥き出しになったマリオンの脚を持ち上げた。
「私が迎えに行くまで待てないのですか?」
そう続けるのがやっとだった。自分の熱を更に奥深く埋め込む。
悲鳴とも嬌声ともつかない短い声を上げ、マリオンは白い喉をのけ反らせた。


腕の中のぬくもりが消えている事に気がついた。掛け布も敷布も引きずり降ろし硬い床の上で転寝していたらしい。体を起こし、ベッドを見たが姿がない。振り返ると、窓辺に彼女のしなやかな背中を晒した姿があった。本当に無防備で頓着がないプリンセスだ。
「服くらい着てください。それとも」
マリオンの背中から纏った掛け布ごと包み込むように抱きしめて、耳元で囁く。
「まだ煽るんですか」
「ばか」
首だけ振り返ったマリオンにアルバートは口づけた。
月は闇の色を従えて中空のはるか彼方に登っているが、地上は薄らと白み始めていた。
「丹桂っていうんですって」
「何が?」
「月に生えている桂のことよ。すごくいい香りの花が咲くんだって」
いい香りなら、この腕の中にある。


fin.

初出:2013年10月11日

オマケ【夢逢瀬】




星より月の方が話のモチーフとしては使いやすいような気がします。ということでイベントの願いを叶える星から強引に月へ話を引っ張ってみました。
そういえば、最初のアルBDにも月が出てきましたな :p
話を書きながら、ふと自問自答。これ…星も月も見えるってどういう状態よ?フツー星が綺麗に見えるときって月は邪魔でしかないけど、登場してもらわなきゃならないから(笑)話の都合上、お月様には遅めの出番にしてもらうべくちょっと欠けてもらいました。なので下弦の月なのです。
(アプリに満月に星が一面に広がる空の立ち絵の背景がありますよね。あれ、きれいだけど、作り話だからいいじゃんといえばいいじゃんだけど… 個人的には想像し辛いものがあります…)











夢逢瀬

その星見の宴に、初めて見る人の姿があった。遥か東方の国からやってきた使節団の使者だという。まだ若いようにも見えるが、整ったその顔立ちの表情の乏しさからは、彼が一体幾つなのかわかりようもなかった。
今までみたこともないような身なりと風貌に目を奪われたプリンセスは、会食の間中気づかれないように眺めていた。
こちらの騎士達が着る官服とは全く違う、ゆったりと袖も裾も長いガウンのような服。布の帯と玉飾りのついた紐で編んだ帯を腰に巻いている。黒い真直ぐな長い髪を一つに束ね、背中に垂らしている。文官のようでもあり、武官のようでもある。隙のない居住まいと容赦のない厳しい視線は誰かを思い出させる。

文官主催の宴は早々と切り上げられ、国王が退出した後も学士達はバルコニーに設けられた席で銘々に星を眺めていた。天高く輝く、城下では「願いを叶える星」という異名を持つその星を。
バルコニーの手摺にもたれ、プリンセスもその星を眺める。今夜ここにいない『誰か』はまだ公務の真っ最中なのだろう。
「お願いごとをされるのですか?プリンセス」
振り返るとそこには今夜のもう一人の賓客が立っていた。
遥か東方の国より旅をしてきた使節団の若き長。
「イェン・ジン様はされまして?」
「いいえ。星はプリンセスのお願いを待っているようだ」
瞬く星空をイェン・ジンは振り仰いだ。
プリンセスは軽く目を伏せ、うん、と頷いて口を開く。
「私はお願いごとはしないんです。願うまでもありませんから」

 闇は更に深まり、星の煌めきは明るさを増してゆく。
「星見の宴というのに、さきほどは当てが外れた話をしてしまった」
プリンセスは、大きく首を振る。
「いいえ!そんなことはありませんわ。とても面白かったもの。空にまつわるお題なのですから。皆さん聴き入ってましたわ!」
「そうですか」
口元だけに笑みを浮かべるその顔に、プリンセスはふと気づく。
「いかがなさいましたか、プリンセス?」

「ごめんなさい」
まじまじと顔を眺めてしまっていたことに気づいて、プリンセスは頭を下げた。
「いや。美しい姫君に見つめられるのも一興」
今度は使者イェン・ジンの目元も笑っていた。
「あなたが、知り合いに似ていたのでつい…」
 イェン・ジンは、切れ長の目を僅かに見開いた。
「この国に私に似た人間がいるとは珍しい」
よく見ると違うような気もする。でも。
「それは…」
東方の使者は、戸惑う姫君に問いかけた。
「出過ぎた問いかけだと百も承知ですが、お聞きしたい。その方は、貴女の恋人ですか?」
えっ!プリンセスは持っていた杯を危うく取り落としそうになった。耳がかあっと熱くなっていくのがわかった。この人は唐突に何を言い出すのだろう。
涼しい夜風が吹き抜ける。
「貴女の眼差しは」イェン・ジンは一旦言葉を切り、目の前のプリンセスの向こうを眺めるような眼差しで口を開いた。
「私を見つめる恋人と同じ瞳だったので。宴の最中から少し気になっていたのです」

使節団の旅は長いものになる。目的を達するまで何年かかるか分からない。だから、待っていろと約束は出来なかった、と彼は淡々と話した。懐かしい眼差しを思い出した、とも。
「きっと、今頃は良い人をみつけて幸せな暮らしを送っていることでしょう」
「そんなことはないです!きっと待っていますわ」
反射的にプリンセスは答えていた。彼は思い出したんじゃなくてずっと思い続けている、だから自分の視線に気づいたのだ。
 「言葉で約束しなくても、彼女はきっとわかっていたはずです」
なぜそう言いきってしまうのか分からない。
イェン・ジンは軽く目を伏せ、小さく息をついた。
「ありがとう。貴女は優しい方だ」


「何を話していたの?」
イェン・ジンがプリンセスに向かって両手を組み、拱手の礼を以て退出すると、 少し離れた位置で控えていたユーリがやってきた。
「ん?ちょっとした世間話」
プリンセスはにこっと笑った。
「あれ?マリオン様。どうしたの?」
ユーリは頭の天辺をちょんとつついて指差した。プリンセスは自分の頭に軽く手をやって、ああ、と頷いた。髪に挿していた真珠の飾り櫛のことだと気づく。
「イェン・ジンにあげたの」
「どうして?」
「彼は国に帰ったら、結婚するんだって。だからそのお祝いに」
真珠の飾り櫛は、確かプリンセスの亡き母の形見だと聞いている。それは大事なものじゃなかったのか?静かに微笑んでいるプリンセスに、ユーリは言葉もなかった。
「マリオン様って、本当に…」
「うん?」
「なんて言っていいかわかんないけど、抱きしめたくなっちゃうよね」
と、誰かが聞いたら手袋を叩き付けて来そうなことをさらりと言ってみる。
プリンセスは、あははと軽く笑って受け流した。



宴が終わって部屋に戻ると、待っていたルルから細長い箱を手渡される。
「これは?」
「イェン・ジン様からの『お礼』だそうです」
箱を開けると、中に入っていたのはワインに似た瓶と、金糸の刺繍入りの布包みだった。紐を解き布を開くと、扇子が現れた。親骨に花をあしらった螺鈿装飾が施された美しいものだ。
扇子を開き、あおいでみると芳しい香りがふわりと漂う。プリンセスもルルも思わずほぅっとため息をついた。
「それから、そちらはお国のお酒らしいです。ええと、月の、木に咲く?お花を漬けたもので、なんかとてもおいしいそうですよ?」
瓶の中には、月の光を閉じ込めた色の液体が揺らめいていた。
そして。
部屋の窓から、空を眺めて見る。先ほどまで煌めいていたあの星は、もうわずかに瞬くのみで、今にも消えてしまいそうだった。



「約束はしなかった。けれど、必ず帰って会いにいくと決めている」
イェン・ジンの低い声が蘇る。
彼が恋人に会えますように、と プリンセスは消え行く星に願いをかけた。



 fin.
初出:2013年10月11日


Per te sogno non finito の捕足?オマケ? いや、蛇足だなw
こざっぱりとまとめたかったのに、どうしてもいらんことがくっついてしまーう!
でもでも。アルバートのアの字も出さずに終えられたぜ!

イェン・ジンは剡谨と書きます、多分。この名前つけるだけで一体どんだけ時間使ったことか!!
ついでに、扇子は親骨に黒檀と扇面に白檀を使ったごっつ豪華なヤツを想像してください…