Sep 8, 2014

夢逢瀬

その星見の宴に、初めて見る人の姿があった。遥か東方の国からやってきた使節団の使者だという。まだ若いようにも見えるが、整ったその顔立ちの表情の乏しさからは、彼が一体幾つなのかわかりようもなかった。
今までみたこともないような身なりと風貌に目を奪われたプリンセスは、会食の間中気づかれないように眺めていた。
こちらの騎士達が着る官服とは全く違う、ゆったりと袖も裾も長いガウンのような服。布の帯と玉飾りのついた紐で編んだ帯を腰に巻いている。黒い真直ぐな長い髪を一つに束ね、背中に垂らしている。文官のようでもあり、武官のようでもある。隙のない居住まいと容赦のない厳しい視線は誰かを思い出させる。

文官主催の宴は早々と切り上げられ、国王が退出した後も学士達はバルコニーに設けられた席で銘々に星を眺めていた。天高く輝く、城下では「願いを叶える星」という異名を持つその星を。
バルコニーの手摺にもたれ、プリンセスもその星を眺める。今夜ここにいない『誰か』はまだ公務の真っ最中なのだろう。
「お願いごとをされるのですか?プリンセス」
振り返るとそこには今夜のもう一人の賓客が立っていた。
遥か東方の国より旅をしてきた使節団の若き長。
「イェン・ジン様はされまして?」
「いいえ。星はプリンセスのお願いを待っているようだ」
瞬く星空をイェン・ジンは振り仰いだ。
プリンセスは軽く目を伏せ、うん、と頷いて口を開く。
「私はお願いごとはしないんです。願うまでもありませんから」

 闇は更に深まり、星の煌めきは明るさを増してゆく。
「星見の宴というのに、さきほどは当てが外れた話をしてしまった」
プリンセスは、大きく首を振る。
「いいえ!そんなことはありませんわ。とても面白かったもの。空にまつわるお題なのですから。皆さん聴き入ってましたわ!」
「そうですか」
口元だけに笑みを浮かべるその顔に、プリンセスはふと気づく。
「いかがなさいましたか、プリンセス?」

「ごめんなさい」
まじまじと顔を眺めてしまっていたことに気づいて、プリンセスは頭を下げた。
「いや。美しい姫君に見つめられるのも一興」
今度は使者イェン・ジンの目元も笑っていた。
「あなたが、知り合いに似ていたのでつい…」
 イェン・ジンは、切れ長の目を僅かに見開いた。
「この国に私に似た人間がいるとは珍しい」
よく見ると違うような気もする。でも。
「それは…」
東方の使者は、戸惑う姫君に問いかけた。
「出過ぎた問いかけだと百も承知ですが、お聞きしたい。その方は、貴女の恋人ですか?」
えっ!プリンセスは持っていた杯を危うく取り落としそうになった。耳がかあっと熱くなっていくのがわかった。この人は唐突に何を言い出すのだろう。
涼しい夜風が吹き抜ける。
「貴女の眼差しは」イェン・ジンは一旦言葉を切り、目の前のプリンセスの向こうを眺めるような眼差しで口を開いた。
「私を見つめる恋人と同じ瞳だったので。宴の最中から少し気になっていたのです」

使節団の旅は長いものになる。目的を達するまで何年かかるか分からない。だから、待っていろと約束は出来なかった、と彼は淡々と話した。懐かしい眼差しを思い出した、とも。
「きっと、今頃は良い人をみつけて幸せな暮らしを送っていることでしょう」
「そんなことはないです!きっと待っていますわ」
反射的にプリンセスは答えていた。彼は思い出したんじゃなくてずっと思い続けている、だから自分の視線に気づいたのだ。
 「言葉で約束しなくても、彼女はきっとわかっていたはずです」
なぜそう言いきってしまうのか分からない。
イェン・ジンは軽く目を伏せ、小さく息をついた。
「ありがとう。貴女は優しい方だ」


「何を話していたの?」
イェン・ジンがプリンセスに向かって両手を組み、拱手の礼を以て退出すると、 少し離れた位置で控えていたユーリがやってきた。
「ん?ちょっとした世間話」
プリンセスはにこっと笑った。
「あれ?マリオン様。どうしたの?」
ユーリは頭の天辺をちょんとつついて指差した。プリンセスは自分の頭に軽く手をやって、ああ、と頷いた。髪に挿していた真珠の飾り櫛のことだと気づく。
「イェン・ジンにあげたの」
「どうして?」
「彼は国に帰ったら、結婚するんだって。だからそのお祝いに」
真珠の飾り櫛は、確かプリンセスの亡き母の形見だと聞いている。それは大事なものじゃなかったのか?静かに微笑んでいるプリンセスに、ユーリは言葉もなかった。
「マリオン様って、本当に…」
「うん?」
「なんて言っていいかわかんないけど、抱きしめたくなっちゃうよね」
と、誰かが聞いたら手袋を叩き付けて来そうなことをさらりと言ってみる。
プリンセスは、あははと軽く笑って受け流した。



宴が終わって部屋に戻ると、待っていたルルから細長い箱を手渡される。
「これは?」
「イェン・ジン様からの『お礼』だそうです」
箱を開けると、中に入っていたのはワインに似た瓶と、金糸の刺繍入りの布包みだった。紐を解き布を開くと、扇子が現れた。親骨に花をあしらった螺鈿装飾が施された美しいものだ。
扇子を開き、あおいでみると芳しい香りがふわりと漂う。プリンセスもルルも思わずほぅっとため息をついた。
「それから、そちらはお国のお酒らしいです。ええと、月の、木に咲く?お花を漬けたもので、なんかとてもおいしいそうですよ?」
瓶の中には、月の光を閉じ込めた色の液体が揺らめいていた。
そして。
部屋の窓から、空を眺めて見る。先ほどまで煌めいていたあの星は、もうわずかに瞬くのみで、今にも消えてしまいそうだった。



「約束はしなかった。けれど、必ず帰って会いにいくと決めている」
イェン・ジンの低い声が蘇る。
彼が恋人に会えますように、と プリンセスは消え行く星に願いをかけた。



 fin.
初出:2013年10月11日


Per te sogno non finito の捕足?オマケ? いや、蛇足だなw
こざっぱりとまとめたかったのに、どうしてもいらんことがくっついてしまーう!
でもでも。アルバートのアの字も出さずに終えられたぜ!

イェン・ジンは剡谨と書きます、多分。この名前つけるだけで一体どんだけ時間使ったことか!!
ついでに、扇子は親骨に黒檀と扇面に白檀を使ったごっつ豪華なヤツを想像してください…