May 15, 2014

甘くて、苦い。

 眠気のとれない頭で、まだ夜明け前の薄らと青いしじまの中、庭園へ続く道を歩いて行く。
「いくら朝早くと言っても!そのままでお出かけになるのは、このルルが許しません!」
 と、寝癖のとれない頭の女官に化粧され、朝イチから結い上げた頭は気合い入りすぎで恥ずかしいから!!という必死の抵抗の甲斐あって、髪はリボンカチューシャでまとめて長いブロンドを背中に流すだけに留まった。寝ぼけながらもきちんと仕事をこなす側仕えの女官に感心する。
「いってらっしゃいませ」

 ただの散歩なのに。わざわざ飾ることもないのに。「この程度は着飾るうちに入りません」とルルにぴしゃりと言い切られ。強引に着せられた、リバーレースを重ねたクリーム色のドレスの裾をばさばさと払う。そりゃあ昨夜の晩餐のとき、国王陛下も「行ってみたいものだ」…とおっしゃってくれたけど。多分お忙しい方なのだから、いらっしゃらないだろう。
 シュタイン国王との親睦を図り、延いてはシュタインとの親和を密にしウィスタリアの安寧を守るために…母国の官僚や教育係の言葉が甦る。
「あー、もう。わかってる、わかってるって!!」
 自分はそのためのプリンセスなのだから。マリオンはちょうど目についた石畳の小石を蹴り飛ばした。 
 朝露に濡れた石畳の上を滑るように小石は転がっていく。小石の後を追いかけて、ふたたび蹴る。もう一度。蹴っているうちに夢中になって、プリンセスは星見の庭に入ったことに気付かなかった。
「あ…」プリンセスは歩みを止めた。
誰もいないと思っていたのに、そうではなかった。もしかしたら…という一瞬の期待は、その人影を確認した途端、大いなる失望に変わる。
「なんであなたなのよ…」

 プリンセスの蹴った小石は、庭園の中央花壇の前に立つ背の高い男の足元まで転がり、靴先に当たって止まった。
「さすが城下出身のプリンセス。石蹴りが得意でいらっしゃるようですね」
 どうやら石を蹴りながら歩いて来るのを眺めていたらしい。朝一番からこれですか…プリンセスは小さく息をついた。黒の騎士服を纏った姿は、ただでさえ厳めしい印象だけど。
「ええ。その辺の騎士には負けなくてよ、騎士団長さま?」
 つんと顎を反らして答えると、そのままにっこりと微笑んでプリンセスのお辞儀をする。ちらりと騎士団長をみやると、ほんの少し頬が赤らんで見えるような気がした。なぜ?と気になったが、光線の加減かな?と思うことにした。
 それよりも、何故というのなら。何故アルバートがここにいるのか、だろう。
 アルバートがおもむろに眼鏡を指先で押し上げる仕草をしたのを見て、マリオンは少し身構えた。
「…こんなに早く来たって、ゼノ様が来る訳ないでしょう」
 あーはじまった!プリンセスは心の中で肩を竦める。
「一国の王なんですから、忙しいに決まってるじゃないですか」
 そんなの知ってるってば。人質生活の頃からそれは知ってるよ、見ればわかるもん。マリオンはため息をつきながら視線を横へずらすと、周りの庭木が朝日を浴びて輝き始めているのが見えた。きらきら光る新緑の梢を眺めている方がずっといい。
「なんですかその目は」
 ふてくされ感が顔に出てしまったのだろうか。今度はアルバートがムッとした顔になる。
「ともかく、迷惑でしょうね。ずっと待たれていたかと思うと鬱陶しいだけですからね」
 マリオンはふと気付いてアルバートの方を向いた。この騎士団長の言い草はいちいちカチンと来るけれど、ひょっとして自分が来る前からここにいたのだろうか?何時から?
「昨夜は、陛下はご親切にもおっしゃってくださいましたけど。私、そのお言葉だけで充分でしたもの」
 そして一歩近づいて、アルバートの顔を見上げる。すると彼は反射的に半歩後ろに下がった。どうして下がるのよ?
「待ち合わせなどしたつもりはありませんわ?」
 何か言い返そうとするアルバートには構わず、彼の足元の小石を屈んで拾い上げ、手のひらでそっと撫でると少し離れた植え込みの下へ置いた。よくわからないけれど、ある意味「親切」でここに来てくれたのかもしれない。彼の親切の意図について考えたくなかった。どうして?それは、心がざわざわと落ち着かなくなるから。
「では、ごきげんよう」
 くるりと踵を返して、マリオンはその場を去ろうとした。が。途端に背後から声が迫ってくる。
「どこへ行くのです」
「散歩よ、散歩。最初からそう言ってたでしょう?」
 プリンセスは肩越しに振り返って答えると、さっさと歩き始めた。
「供もつけずに?」
「ここは安全な場所なんでしょう?お散歩くらい一人でしたっていいじゃない」
  今度は振り向きもせず、マリオンは急ぎ早に歩みを進めた。後ろから足音が近づいてくる。ドレスのスカートを両手で掴み、ややたくし上げると歩く速度を上げた。
「プリンセス!」
「ちょっと、ついて来ないでよ!」
  走り出そうとした瞬間、マリオンは腕を掴まれ止められてしまった。
 「姫君をお守りするのは…騎士の役目です」
 アルバートに見つめられ、マリオンはたじろいで目を伏せた。
「貴女の行き先はどうせ…」
「え?」
「わかっています。あそこでしょう」
 アルバートはマリオンの腕を掴んだまま、歩き出した。


「よく覚えていたわね」
 マリオンはほう…っとため息のような感嘆の声を漏らした。
そこは以前、シュタインの捕囚となっていた頃に見つけた白い野ばらの茂みだった。初めて見たときよりも花の数も多く、見事に咲き誇っている。小さな花はほぼ満開のようで、カーテンのように重く枝垂れていた。
「あれから、グスタフが欠かさず手入れと世話をしていたようですからね」
 アルバートは眼鏡のブリッジを押し上げた。本来なら罰を受ける筈の庭師グスタフは、『あのとき』マリオンによって助けられたようなものなのだ。
「あなたが知っている城内の『シュタインの素敵なところ』といったら、たかが知れてますからね」
 確かにその通りだけど。アルバートが覚えていたなんて。
「どうしたのです?なにが可笑しいのですか?」
 知らず笑みがこぼれていたらしい。
「ううん、ちょっと嬉しくて。ありがとう、アルバート」
 マリオンが更に笑みを深めた瞬間。
今度は見間違えようのないほどに、アルバートの頬は赤く染まった。


to be continued.


思っていたよりも長くなってしまいました。続きはアルバート視点になりま…すのかな?

May 14, 2014

野ばらのような、あなた I



青く澄み渡った空の上空に、白い羽根のような巻雲が流れていく。
シュタイン王国騎士団長アルバート・ブルクハルトは、眼鏡の縁をそっと押さえて小さく息をつく。
国境の唐檜の森には大きな天幕が幾つも張られ、騎士団は二個中隊が待機している。
南のウィスタリア地方は豪雨だと、伝令が報告して来たのは2日ほど前のことだった。昨晩未明には天候が回復したということだが、果たしてやって来るのだろうか。いや、来なければならないのだ。
シュタイン王国とウィスタリア王国の友好条約調印式が、今日執り行われるのだから。
国境を挟んでちょうど1マイルほど先に、ウィスタリア騎士団の駐留天幕がある。が、まだ主が到着していない。
「アルバート様。ウィスタリアより急使です」
声をかけられた騎士団長は、視線を空から地上に戻した。明るい所を見続けていたせいで、視界が暗く反転した。瞼を閉じゆっくりと開くと、眼前に従騎士のエミールと見知らぬ騎士が立っていた。
エミールがさっと敬礼する。その隣のウィスタリアの若い騎士は腰を下げ、片膝をついた。
「余計な挨拶は結構だ。用件のみ述べよ」
「は。ウィスタリア騎士団ニコラ・ダヴィア、謹んでお伝え申し上げます。本日早朝、プリンセスが乗られた馬車が脱輪致しました。先日の雨の影響で道悪く…ぬかるみを避けたはずみに踏み外した模様です。幸い馬車の転倒はありませんでした」
騎士団長は瞠目した。
「プリンセスは、無事なのか?」
「はい。『大丈夫だ』と。『遅れてしまいますが、必ず参ります』と、プリンセスより直截賜ってまいりました。こちらへの到着時刻ですが…」
一瞬ウィスタリア騎士の声が遠ざかり、花咲くような笑顔とそして、やわらかなメゾソプラノの声が彼の耳に蘇る。
「大丈夫だから、アルバート」




ウィスタリアのプリンセスは、国を守る為無実であることを証明する為に、自らシュタイン王国の「人質」となった。彼女は国にかけられた誤解を解く為に、事件の調査にも同行し、城外視察や会議に出てはいるものの。今回の事件により仮想敵国の国主代理と判断されている以上、実際はやはり人質として軟禁状態であった。
自国の側仕えの女官も下女もつけず、一人きりでこの国にやって来たプリンセス。事件に関係する公務同行や会議のないときには、宛てがわれた部屋で過ごすことになる。無論、城内ならばある程度の範囲を出歩くことは出来る。が、それは必ず監視係をつけられてのものだった。そして外国の慣れない地で敵と見なされながら過ごすことは、窮屈なだけでなく、心情的にも重く苦しいものであろうことは簡単に想像出来た。

城内の東庭園から もプリンセスの滞在する貴賓室はよく見える。城郭の内側に面した館の2階、誰からも分かる位置にあるのは、監視しやすい為だ。だが、「人質」としては破格 の待遇でシュタインは彼女を扱っていた。最高の客室を誂え、不便の無いよう身の回りの用意も全てこちらで揃えているのだ。多分、ウィスタリアにいるときと変わらない内容で。単純に国賓として接待するだけならば、まだ大分楽だったはずなのだ。事件解決の兆しは見えて来たが、まだしばらく時間はかかりそうだ。
若き騎士団長は修練棟に向かうため、 この庭園を横切ろうとしていた。
貴賓室の張り出し窓に金色の影が見える。プリンセスが外を眺めているのだろう、と騎士団長は思った。会談の後の燃えるように強い眼差しを思い出す。指の先が真っ白になるほどに自分の両手を握りしめて震えを押さえていた、あのときの顔。不安と恐れの中でも、ただひたすらに真直ぐこちらを見つめていた。だから、 こちらも目を反らすことなど出来なかった。
そんなことを思い出しながら、やがてプリンセスの部屋の真下まで辿り着くと、足を止めて見上げた。
外を眺めていたプリンセスはこちらに気づいたのか、視線をこちらへ降ろした。ガラス越しに目が合う。金色の長い髪を結いもせず長く垂らし、紺色の質素な、まるで修道女のようなドレスを身に纏っていた。あのときとは違い、何の感情も読み取れない。それでもこちらを真直ぐに射抜くような視線だ。透明な青い眼差しが彼を捉えて放さない。彼は瞬きのかわりに眼鏡を指で押し上げた。すると、プリンセスはふいっと奥へ姿を消してしまった。
騎士団長は嘆息する。彼女は自分にだけ笑顔を見せない。


その翌日。
執務室にほど近い中庭のベンチにユーリとプリンセスが並んで座っていた。このまま行けば、彼らが気づくだろう。こちらから声をかけるのもなんとなく躊躇われて、そのまま歩みを止めてしまった。
「じゃあ、今度料理長に頼んであげるよ」
「ええ?いいの?」
 どうやら晩餐のデザートについて話しているようだ。
「せめて食事くらいはマリオン様が望む通りにしてあげたいし」
「ありがとう、ユーリ」
プリンセスがユーリに向かってにっこりと微笑む。
「うん。その笑顔が見たかったから」
ユーリは彼女の頬にかかる髪を指でそっとすくって耳にかけた。
プリンセスの微笑みはやがて小さなはにかみに変わり、顔を俯かせ囁くような小さな声でユーリに何かを話している。
「…うん。俺、マリオン様の力になりたいから。大丈夫だよ」
プリンセスの肩をそっと抱きながらそう答えて、ユーリがこちらを向いた。
「やだなあ、アル。立ち聞き?」
プリンセスははっと顔を上げてアルバートを見た。またあの透明な視線かと思ったが、単に驚いたような、そんな顔だった。
「ユーリ、ここはウィスタリアじゃない」
「知ってるよ。それがなにか?」
「貴様は自分が何であるのか忘れたのか」
「忘れるわけないよ」
厳しい表情の騎士団長に対し、ユーリは笑顔を崩さない。
「いくらゼノ様の庇護があるからと言って、そんなふるまいを晒していれば…」
「宮廷の妖怪爺どもが黙っちゃいない、でしょ。わかってるって」
プリンセスは目を丸く見開いてユーリを、そしてアルバートを見上げた。
「どこにもいるのね妖怪って…」
ぽつりと呟いたのをアルバートは聞き逃さなかった。片眉をぴくりと上げてプリンセスを見下ろすと、彼女は肩を竦めた。
「失礼」とアルバートに軽く首をかしげ、ユーリの方を向く。
「でも、ユーリ。ブルクハルト卿のおっしゃる通りだわ。わざわざ目に留まるようなことしない方がいいに決まってる」
プリンセスはベンチから立った。
「今日は、もう充分息抜き出来たし」
「庭園に行かなくていいの?」
うーん…プリンセスは両手を上に挙げて大きく伸びをすると 、ふうっと息をついてユーリとアルバートを交互に見つめた。
「うん。また今度…があったらね、そのときでいい」
 ね?とユーリの瞳を覗きこんで微笑み。
「ブルクハルト卿、ご忠告ありがとうございました」
両手を脇に降ろしドレスの裾を軽く摘み、膝を曲げてお辞儀する。
「…いえ、礼には及びません」
顔を上げたプリンセスと目が合う。口元だけに笑みを浮かべ、相変わらずの眼差しだ。
「あれ、どうしたの?二人で黙って見つめ合っちゃって」
ユーリがからかうような言い方をしたせいなのか、プリンセスはぷいと目を反らした。少し耳が赤い。
「おかしな言い方はやめろ」
それから、と。騎士団長は一旦言葉を切った。
「アルバートで結構です、プリンセス」




「あと、二刻ほどで到着するようです」
騎士団長は国王に報告する。
「そうか。プリンセスが無事でこちらに向かっているなら、問題ない」
天幕の奥で国王ゼノは椅子に座り、書類を読んでいた。傍らのテーブルには幾つか書簡が乗っている。明り取りの窓から差し込む昼の光が、ゼノの整った顔に濃い影を落とす。
「王宮を離れて、のんびりする時間を作ってくれたプリンセスには感謝しなければな」
と目元を緩め、手にしていた書類をテーブルに放ると頬杖をついて騎士団長を見上げた。
「そうだな、アル。久しぶりに一局どうだ?」
「チェスをお持ちに?」
ゼノは天幕の奥に視線を送った。すると控えていた小姓がトランクを開け、チェスセットを取り出すと、恭しい歩みでこちらへ持って来た。
「どうせ、出発時から待つことになるのはわかっていたからな」
「そうですね…」
アルバートは用意されたもう一脚の椅子に座り、チェス盤を広げた。


to be continued...

→野ばらのような、あなた II

初出:2013年8月29日

May 9, 2014

Intermezzo *Grumo di Zucchero*

控えの間の女官に呼ばれて扉を開けると、そこには黒づくめのインケン眼鏡男(プリンセス談)が立っていた。
「ブルクハルト様」
ルルは慌ててお辞儀する。
「プリンセスはいらっしゃいますか?」
「ご休憩中にございます」
「話し声が聞こえたが」
チッ…危うく舌打ちしそうになったが、その表情をおくびにも出さずにっこりと微笑む。
「失礼致しました。これからお休みになるところです。お引き取りくださいませ」
ルルは貴族然とした麗しい仕草で、ドレスの裾をつまんで腰を落としてお辞儀する。
「時間は取らせない。少し会わせていただきたい」
顔を上げると、冴え冴えとした眼差しに射すくめられ、ルルはうろたえた。
どうしよう。
マリオン様ご自身は、本当は…多分。いち、に、さん、し…口の中で数えて息を整える。
「かしこまりました」
表情の少ない騎士団長があからさまにほっとした顔を見せたので、ルルは思わず目を見開いた。
けれども。
「手短にお願い致します。この間の『ちょっとお散歩』では困ります」

女官の貼付けたような笑顔と言葉に、アルバートは一瞬彼女から目を反らし、改めて見下ろした。
「晩餐のお召し替えのとき、 私、気づきましたの」
こちらを睨め付けながら、女官は言葉を続ける。
「マリオン様のドレスが汚れておりました。まあ、外に出ると大抵…帰りは何かしら汚してお戻りになりますから、それはよろしいのです」
彼女はひと呼吸おいた。
「どういうわけでしょう。ドレスの腰のリボンが2箇所ほど、縦結びになっていたのです。
マリオン様は正直それほど器用でいらっしゃらないので、ご自分で直されたのかもしれませんが…」
「それが?」
女官の言いたいことの察しはついた。が、事実を述べようにも言い訳と捉えられるに過ぎず、過大な当て推量で面倒なことになりかねない。アルバートはため息をついた。
「申し訳ございません。私めのただのひとり言にございます」 
女官はしずしずと後ろに下がった。
「どうぞお通りください」
彼女なりに己の主人を守りたいのだろう。なぜか子猫が必死に威嚇する様が脳裏に浮かんだ。…とすると、自分がなんとなく悪者のようではないか。それは違うだろう。
「私はお茶を用意してまいります故、失礼致します」
 後ろから聞こえた女官の声にはっとした。扉のノブに手をかけたまま止まっていたらしい。彼女が去るのを確認して、アルバートはプリンセスのいる部屋の扉を叩いた。


fin.

初出:2013年8月19日





Arancia Cioccolato おまけエピソードです。一緒にupするハズが取りこぼしておりました。

取り次ぎ女官がルルを呼びに来る→騎士団長参上→マリオンの部屋に突入…ちょっと待ったー という流れです。
Grumo di Zucchero はイッタリアーノで角砂糖。とくに意味はないッスおっす。
ところでアルの目の色って何色だろ?黒?セピア?