眠気のとれない頭で、まだ夜明け前の薄らと青いしじまの中、庭園へ続く道を歩いて行く。
「いくら朝早くと言っても!そのままでお出かけになるのは、このルルが許しません!」
と、寝癖のとれない頭の女官に化粧され、朝イチから結い上げた頭は気合い入りすぎで恥ずかしいから!!という必死の抵抗の甲斐あって、髪はリボンカチューシャでまとめて長いブロンドを背中に流すだけに留まった。寝ぼけながらもきちんと仕事をこなす側仕えの女官に感心する。
「いってらっしゃいませ」
ただの散歩なのに。わざわざ飾ることもないのに。「この程度は着飾るうちに入りません」とルルにぴしゃりと言い切られ。強引に着せられた、リバーレースを重ねたクリーム色のドレスの裾をばさばさと払う。そりゃあ昨夜の晩餐のとき、国王陛下も「行ってみたいものだ」…とおっしゃってくれたけど。多分お忙しい方なのだから、いらっしゃらないだろう。
シュタイン国王との親睦を図り、延いてはシュタインとの親和を密にしウィスタリアの安寧を守るために…母国の官僚や教育係の言葉が甦る。
「あー、もう。わかってる、わかってるって!!」
自分はそのためのプリンセスなのだから。マリオンはちょうど目についた石畳の小石を蹴り飛ばした。
朝露に濡れた石畳の上を滑るように小石は転がっていく。小石の後を追いかけて、ふたたび蹴る。もう一度。蹴っているうちに夢中になって、プリンセスは星見の庭に入ったことに気付かなかった。
「あ…」プリンセスは歩みを止めた。
誰もいないと思っていたのに、そうではなかった。もしかしたら…という一瞬の期待は、その人影を確認した途端、大いなる失望に変わる。
「なんであなたなのよ…」
プリンセスの蹴った小石は、庭園の中央花壇の前に立つ背の高い男の足元まで転がり、靴先に当たって止まった。
「さすが城下出身のプリンセス。石蹴りが得意でいらっしゃるようですね」
どうやら石を蹴りながら歩いて来るのを眺めていたらしい。朝一番からこれですか…プリンセスは小さく息をついた。黒の騎士服を纏った姿は、ただでさえ厳めしい印象だけど。
「ええ。その辺の騎士には負けなくてよ、騎士団長さま?」
つんと顎を反らして答えると、そのままにっこりと微笑んでプリンセスのお辞儀をする。ちらりと騎士団長をみやると、ほんの少し頬が赤らんで見えるような気がした。なぜ?と気になったが、光線の加減かな?と思うことにした。
それよりも、何故というのなら。何故アルバートがここにいるのか、だろう。
アルバートがおもむろに眼鏡を指先で押し上げる仕草をしたのを見て、マリオンは少し身構えた。
「…こんなに早く来たって、ゼノ様が来る訳ないでしょう」
あーはじまった!プリンセスは心の中で肩を竦める。
「一国の王なんですから、忙しいに決まってるじゃないですか」
そんなの知ってるってば。人質生活の頃からそれは知ってるよ、見ればわかるもん。マリオンはため息をつきながら視線を横へずらすと、周りの庭木が朝日を浴びて輝き始めているのが見えた。きらきら光る新緑の梢を眺めている方がずっといい。
「なんですかその目は」
ふてくされ感が顔に出てしまったのだろうか。今度はアルバートがムッとした顔になる。
「ともかく、迷惑でしょうね。ずっと待たれていたかと思うと鬱陶しいだけですからね」
マリオンはふと気付いてアルバートの方を向いた。この騎士団長の言い草はいちいちカチンと来るけれど、ひょっとして自分が来る前からここにいたのだろうか?何時から?
「昨夜は、陛下はご親切にもおっしゃってくださいましたけど。私、そのお言葉だけで充分でしたもの」
そして一歩近づいて、アルバートの顔を見上げる。すると彼は反射的に半歩後ろに下がった。どうして下がるのよ?
「待ち合わせなどしたつもりはありませんわ?」
何か言い返そうとするアルバートには構わず、彼の足元の小石を屈んで拾い上げ、手のひらでそっと撫でると少し離れた植え込みの下へ置いた。よくわからないけれど、ある意味「親切」でここに来てくれたのかもしれない。彼の親切の意図について考えたくなかった。どうして?それは、心がざわざわと落ち着かなくなるから。
「では、ごきげんよう」
くるりと踵を返して、マリオンはその場を去ろうとした。が。途端に背後から声が迫ってくる。
「どこへ行くのです」
「散歩よ、散歩。最初からそう言ってたでしょう?」
プリンセスは肩越しに振り返って答えると、さっさと歩き始めた。
「供もつけずに?」
「ここは安全な場所なんでしょう?お散歩くらい一人でしたっていいじゃない」
今度は振り向きもせず、マリオンは急ぎ早に歩みを進めた。後ろから足音が近づいてくる。ドレスのスカートを両手で掴み、ややたくし上げると歩く速度を上げた。
「プリンセス!」
「ちょっと、ついて来ないでよ!」
走り出そうとした瞬間、マリオンは腕を掴まれ止められてしまった。
「姫君をお守りするのは…騎士の役目です」
アルバートに見つめられ、マリオンはたじろいで目を伏せた。
「貴女の行き先はどうせ…」
「え?」
「わかっています。あそこでしょう」
アルバートはマリオンの腕を掴んだまま、歩き出した。
「よく覚えていたわね」
マリオンはほう…っとため息のような感嘆の声を漏らした。
そこは以前、シュタインの捕囚となっていた頃に見つけた白い野ばらの茂みだった。初めて見たときよりも花の数も多く、見事に咲き誇っている。小さな花はほぼ満開のようで、カーテンのように重く枝垂れていた。
「あれから、グスタフが欠かさず手入れと世話をしていたようですからね」
アルバートは眼鏡のブリッジを押し上げた。本来なら罰を受ける筈の庭師グスタフは、『あのとき』マリオンによって助けられたようなものなのだ。
「あなたが知っている城内の『シュタインの素敵なところ』といったら、たかが知れてますからね」
確かにその通りだけど。アルバートが覚えていたなんて。
「どうしたのです?なにが可笑しいのですか?」
知らず笑みがこぼれていたらしい。
「ううん、ちょっと嬉しくて。ありがとう、アルバート」
マリオンが更に笑みを深めた瞬間。
今度は見間違えようのないほどに、アルバートの頬は赤く染まった。
to be continued.
思っていたよりも長くなってしまいました。続きはアルバート視点になりま…すのかな?