「騎士団の訓練を見学したく思います」
修練場の中央ホールは吹き抜けになっていて、中二階のバルコニーでプリンセスは騎士団員の様子を見学することとなった。
普段、出歩くときはウィスタリアから連れて来た若い女官を伴っているのだが、修練場には一人で訪れる。
始めの頃は訝しげにその姿を眺めていた騎士達も、プリンセスが本当に「ただ見学するだけ」というのを見て取ってからは気にしないようになっていた。
その筈だった。
きっかけは、ある日1時間以上立ったままのプリンセスに気づいた一人の従騎士が、椅子を勧めたことだった。
見学を終えたプリンセスはバルコニーから降りて来て、その従騎士に言葉をかけた。
多分、椅子に対するお礼だったはずだ。
間近に見るプリンセスの姿に、騎士達は少しの間、修練の手を止めていたかも知れない。幸運にも騎士団長は国境視察に出ていて留守だったので。
翌日。件の従騎士は、初めて同期から1本を取ることが出来た。ずっと敵わなかった相手から、ついに一勝して喜びの声を上げたとき、プリンセスがこちらに向かってほほ笑んでいたのを彼は見逃さなかった。
この日もまた、プリンセスは帰り際にバルコニーから降りて来て、従騎士に声をかけた。今度は彼一人だけでなく、一緒にいた彼の仲間2〜3人とも言葉を交わした。
プリンセスが修練場を訪れるようになってから1週間を過ぎる頃には、彼女と騎士達の間はすっかり打ち解けていた。それどころか、騎士達は以前にもまして修練に励むようになっていた。
国内外の情勢が安定している現在、騎士団派遣も少なくなり団員の気も緩みがちなのだが、それに反して士気が高まっているというのは不思議な話だ、と国王は修練場を訪れてみた。
バルコニーにはいつものようにプリンセスの姿があった。
「熱心だな、プリンセス」
「国王陛下」
プリンセスは椅子から立つと、流れるような仕草でレディのお辞儀をする。
「お言葉に甘えて見学させていただいております」
「女性はこういうものには興味がないと思っていたが」
「ときには好きな女もいるのです。たとえば、陛下の目の前に」
軽く首を傾げてほほ笑む。
そういう仕草は姫君そのものなのに、どういうわけか相手が騎士団長となると雰囲気ががらりと変わる。同じ騎士のユーリに対しては、自分と同じように柔らかな物腰なのだが。それはそれで面白く、このプリンセスのおかげで珍しい展開が起こりつつあるようだ。
「ああ、構わない」
王はプリンセスに椅子に座るよう促した。
「俺は長居はしない。気にするな」
国王と隣国のプリンセスの姿を頭上にちらりと見やり会釈をした後、騎士団長はため息をつく。
「いつにもまして機嫌が悪いね、アルバート様?」
後ろから、からかうような声がする。
「用もないのにうろつくな、ユーリ」
振り返ると騎士服に身を包んだユーリが立っていた。
「ひどいな、アル。俺だって騎士なのにさ」
アルバートに一歩近づく。
「今日はゼノ様もご覧になっているというのに、どうしてそんなにしかめっ面?」
ユーリは腰の剣を抜き、その剣先をアルバートに向けた。
「ゼノ様とプリンセスが一緒だと気になる?」
「何が気になるというんだ?」
アルバートも静かに剣を抜いた。
「あはは。とぼけないでよ、まあいいか」
ユーリは自分よりも背の高いアルバートを斜めに見上げる。
「久しぶりに手合わせしてよ。今日はなんだか勝てそうな気がするな」
「軽口を叩けるのも今のうちだ」
剣のぶつかり合う音が響いた。
「真剣で?」
プリンセスは立ち上がって階下の2人を見た。
「長年の付き合いだからな、お互いの力量を心得ている。心配はないだろう」
ゼノはバルコニーの手すりに腰かけ、何でもないように見下ろしている。
的確に打ち込んでは躱す、無駄のない動きは洗練された美しいものだった。
「あまり夢中になると落ちるぞ」
手すりから乗り出すように見入るプリンセスの体をゼノはさりげなく引き戻した。腰に回されたゼノの腕に気づいて、耳が熱くなる。
「素晴らしいのでつい…すみません」
肩をすくめて小さく笑うと椅子に座りなおす。
「どちらが強いんでしょうか?」
「どちらだと思う?」
剣を打ち合う二人の動きは全く互角のように見える。
「二人ともとても強いと思います。力は…アルバートの方があるのかしら」
「そうだな。実力としてはアルの方が上だろう。だが、ユーリは相手の油断と隙を見逃さない」
体が華奢な分、身のこなしは軽やかで攻撃はとても素早い。その上で相手の間隙を突くのか。でも、その早さに劣らぬアルバートに隙があるようには見えない。
「ユーリは、今日こそは勝てると踏んで臨んだのだろうな」
ゼノは口の端を緩めた。
「え?陛下。その言い方では、ユーリは…」
プリンセスはゼノを見つめたが、彼は黙ったまま視線を下に降ろした。プリンセスもまた、再び階下の試合を見守った。
石の床に鋭い音が響き、剣が落ちて滑って行った。
ユーリの鼻先にはアルバートの剣先がぴたりと据えられていた。
「勝てると思ったのに」
「その慢心がお前の負けを呼ぶんだ」
アルバートは剣を降ろして鞘に収めた。そしてこちらを眺めていた二人に会釈し、ユーリを振り返りもせず、その場を立ち去って行く。
「思った以上に、かっこつけるタイプだったんだな。まあ俺もそうなんだけど」
自嘲気味にユーリは呟いた。落とした剣を従騎士から受け取り着衣を整えると、ユーリは階上に向かって手をふった。
「ゼノ様!マリオン様!」
「アルバートが勝っちゃいましたね」
マリオンはゼノを振り返った。かすかに頬を上気させ、目を輝かせているその顔を見ないで去るとは残念な男だ、とゼノは思った。
「あんな風に剣が振るえたらいいのになあ」
ゼノは自分の耳を疑った。
跡目を失った騎士の家に生まれたのだと語った。父のことは尊敬していたので手助けになりたいと思い、自分も剣を手にしてみた、と。自分でもいけるのではと思ったが、結局は女であることがそれを叶えさせる全ての妨げになった。
なのに、今は女である故にプリンセスとなってここにいる。
「かつての夢を見せてくれるのです。叶わなかったとしても、今はそれが辛いことだとは思いません。星になれなかった欠片もまた自分なのですから」
そこまで話してマリオンは、自分が語った相手を思い出した。親でも友人でもない、ましてや。
「すみません、ずうずうしくも自分のことばかり話してしまいました」
頭を下げ、長い睫毛を伏せる。
「 お忘れください」
「何故忘れる必要がある?」
ゼノの深い眼差しに、マリオンは返す言葉を失った。
「おまえの話を聞けてよかった」
その声は低く優しい。
「陛下。ありがとうございます」
だから、みなこの国王に忠誠を誓い、従うのだ。マリオンは更に頭を下げた。
「顔を上げろ、プリンセス。それから陛下というのは無しだ、名前を呼べ」
え?思わずがばっと顔を上げた。
「ではな、マリオン。次は夕食のときに」
「マリオン様。まだ見ているの?」
ユーリがゼノと入れ替わりにやって来た。
「あ、ユーリ。おつかれさま。残念だったね」
「勝てる筈だったんだけどな」
ユーリはマリオンに手を差し伸べた。その手を軽く握ってマリオンは席を立つ。
「ゼノ様も、ユーリは勝てると思ったんだろうって言ってたわよ?」
「え?」
「ん?」
目を丸く見開いたユーリに、マリオンは首を傾げた。
「ははっ。ゼノ様にはお見通しかあ…ってマリオン様?」
ユーリはマリオンの言葉に気づいた。
「 陛下とは呼ばないんだ?」
「名前を呼ぶようにっておっしゃったわ、さっき」
「ふーん」
「どうしたの?」
「シュタインとウィスタリアの距離が縮まったなあって思って」
「そう思う?」
「思う思う」
やったぁ外交は順調ね!とばかりにガッツポーズで喜ぶマリオンを眺めながら、 ユーリは思いついたように笑い始めた。
「あ、そうだ。マリオン様、今度アルがいるときにゼノ様の名前を呼んでみてよ」
「え?どうして??」
「そのときのアルの顔を見たいんだよね、俺」
「どうして?」
わからないの?と訊くと、マリオンはぶんぶんと首を縦にふって頷いた。
「全然わかんない。アルバートの顔見て楽しいの?」
「うん」
仲良しなんだね、とマリオンの全く見当違いの言葉に、ユーリは苦笑するほかなかった。
fin.
初出:2013年8月1日