Apr 23, 2014

Arancia Cioccolato

それは。
甘くて苦い、苦くて甘い。

「マリオン様? もうそろそろおやめになったらいかがですか?」
ルルはソファに寝そべったままチョコレートをつまむプリンセスを見て、ため息をついた。
「そりゃあ、私が山盛り持って来たのがいけないんですけど」
「ルルも食べてよ。私一人じゃ無理よ」
指についたチョコをぺろりと舐めるとのそのそと起き上がり、小さくおくびを出した。ちらり、とルルが見咎めたような視線を向けて来たが気にしない。
「息がオレンジの匂いになっちゃったわ」
「お口はチョコ色ですね」
「うっそ!」
ルルはクスッと笑って、自分の口端をつついて見せた。マリオンは慌てて口を拭う。
オレンジピールのチョコレートは、プリンセスの最近のお気に入りだ。なので、修練場から連れ戻す為の口実に用意したのだけれど。やけ食いのように頬張る己の主人に、食べ物で釣ったのは失敗だったかも…と後悔していた。そして、このデザートを力一杯用意してくれた厨房の料理人達を少々恨めしく思った。
「では、いただきます」
ルルは傍のオットマンに腰掛けて、テーブルの上の銀の皿に乗ったチョコレートをつまんだ。
「うわ、おいしいですね、これ!!」
「でしょ? 遠慮はいらないわ…というか、後は任せたわ、ルル」
ルルがにこにこしながらオレンジピールチョコを食べ始めたのを見て、ソファに座り直したマリオンは、右袖をたくし上げて眺めた。
右手はもうなんともない。言われた通りにすぐ冷やしたから。

久しぶりに振るった剣の感触は悪くなかった。むしろ気持ちいいくらいだった。本来の自分の役目からは遠く離れたことだけど、決していけないことではないはずだと思っていたのに。
公務の為に修練場を去った国王を見送って、騎士団長に向き直ったそのとき。
「まったく無茶をされる方だ」
いきなり右腕を掴まれた。
「えっ?」
驚くと同時に、痺れるような痛みが手首を走る。マリオンは眉を顰めてアルバートを見上げた。
「痛いでしょう。このまま続ければ筋を痛める」
アルバートは多分、力を込めてない。でも、マリオンはその手を振りほどくことが出来なかった。
「後半の剣のさばき方は明らかに…疲れていたな。毎日剣を握っていないのに、力任せに振り回すからだ」
あきれたような声で言われて、ついむっとして睨みつけようとした途端、手を放された。
「…大丈夫だもん」
マリオンはアルバートからそっぽを向いて手を2〜3度振った。痛いというよりも、自分の手ではないような重さが残った。
「貴女が大丈夫でも、周りはそうではない」
アルバートはマリオンの後ろを見やった。心配そうにこちらを見つめるルルの姿がそこにあった。 そして心配する以上に好奇心満々な騎士達の姿も。
「マリオン様?」
心細げな声が自分を呼ぶ。
「わかったわよ。今日はこれで終わりにする」
 アルバートの言う通りだ。正直なところ、もうこれ以上剣を握って振ることは出来そうにない。ましてや相手は騎士団長だ。なんだか負けたような気がする。敵いっこないっていうのはわかっているけれど、なんだか悔しい。
瞬きはせずに、アルバートを見つめる。
「そんな目で見るな」
マリオンにだけ聞こえる声でアルバートは囁いた。その瞬間の少し困ったような表情も、彼女の瞳だけに映った。


「ブルクハルト様がすぐお気づきになられてよかったですよ」
右手を眺めるマリオンに気づいて、ルルはうんうんと頷いた。
「大事に至らなくて、安心しましたわ」
マリオン自身の公務に差し支えるし、ウィスタリアで待っている面々を思い浮かべると、背筋が冷え冷えとするのはルルの気のせいではない。きちんとプリンセスのお側付を全うしなくては。けれど、ルルもまた「堅苦しい」のは好きではないのだ。
「次回お相手してくださるって、おっしゃってたじゃないですか」
視線を右手からルルに移して、マリオンは小さく息をついた。
「お忙しい騎士団長サマが、私ごときにつきあってくれるのかしら?」
若干…かなり拗ねた物言いに、ルルは肩を竦めた。
「もちろんですよ、マリオン様」
マリオン様を放っておくわけないじゃないですか、あの方が!と言いたいところだったけれど、それを言ったら言ったでなぜか機嫌が悪くなるのだ。いや、悪くなるのではなく、悪く見せるのだ。なんて素直じゃないプリンセス。しかし、ルルにはそこがなんとなく微笑ましく思えた。
「お茶が冷めてきましたから、新しいものをお持ちします」
ルルが席を立とうとしたとき、扉を叩く音が聞こえた。控えの間の女官の声がルルを呼んでいる。
「では失礼致します、マリオン様」

ルルが扉の向こうに姿を消したのを見ると、マリオンは再びソファに寝そべった。この後は夕刻の城下の視察がある。支度の時間はまだまだ先だ。資料の書類は、既に昨夜目を通してあるからすることもない。
「つまんないなぁ…」
ゼノ様は許可してくれたけれど、アルバートは本当に自分の相手をしてくれるのだろうか。あのときの、泣きそうな気分をアルバートに見破られたような気がして 、マリオンはぎゅっと目を固く閉じた。


再び扉を叩く音が聞こえる。ルルが戻って来たのだろう。
「どうぞー」
体を横にしたまま返事をする。扉が開いたが、いつもの「ただ今戻りましたあッ!」が聞こえて来ない。 では別の女官だろうか?
「随分と優雅な格好だな」
まさかの声に目を見開き、がばっと半身を起こした。椅子から足を降ろしドレスの裾を引き下げ、驚きの顔を極力隠してにっこりと微笑む。
「ごきげんよう騎士団長さま」
扉を背にアルバートが立っていた。いつものように黒い騎士服をかっちりと纏い、いつものように堅苦しい礼儀正しさでこちらを見つめているのはわかった。窓から差す午後の光がアルバートの眼鏡に反射して、彼自身の表情はわからない。
「ご用件は何かしら?」
肩にかかる髪を人差し指で払い、そのついでにドレスの襟元のずれをさっと直した。
「貴女の様子を見に来た」
「え?」
マリオンは大きく見開いた瞳を瞬かせた。手のことを言っているのだろうか?怪我をしたうちには入らないと思うし、アルバートだってそういう風に言ってたのに?
「様子って。いたって元気ですけど?」

いつもならずかずかと近づいて来るのに、部屋の入り口に立ったままのアルバートにマリオンは首を傾げた。
「えっと。せっかくだからお茶でも飲む?もうすぐルルが持って来るはずだし」
わかんないなあ…と思いつつも、「どうぞ」と椅子を勧めた。
「あ、そうだ。チョコレートもあるの、どう?」
「結構」
アルバートはテーブルを挟んで向かい側の椅子に剣帯を外してサーベルを置くと、マリオンの横までやってきてこちらを見下ろした。
「手をみせてください」
マリオンは少し横にずれて座りなおし、さらに「どうぞ」と掌をアルバートに向けた。アルバートは静かに隣に座ると彼女の方へ体を向けて、差し出された手を取った。プリンセスの指から、ふわりと甘い香りが漂う。
「午前中に見てくれたときも、そんなにひどくなかったと思うけど?」
 手首を持つ彼の手を、マリオンは見つめた。自分よりずっと大きくて長い指は、片手で両手を掴めてしまうのだろうな、とぼんやり思った。なんだか頬が熱くなって来たような気がする。
「こんな華奢な手で剣を振り回すとは」
「馬鹿ですか? って??」
マリオンは先回りして呟いた。
「馬鹿ではないが」
「あら、珍しい」
「向こう見ずだな、と」
「ちょっと、それあんまり変わらないじゃない、ひどい」
アルバートは小さく笑った。彼女の手を握ったまま。
「菓子を持っている方が似合う、というと怒るのでしょうね」
案の定、マリオンはムッとした顔つきになり口を尖らせた。
「あの。そりゃさっきまで食べてたけど」
「道理で」
 手を握る力がほんの少し強められて、彼女の体はアルバートの方へ傾いた。
「チョコレートと果物の匂いがする」
アルバートの視線が握られた手から、マリオンの口元に移っていく。耳の奥でとくんとはねた鼓動が早まるのを感じた。

そんなやりとりの間にも。
なぜ手を放してくれないのか、マリオンはアルバートを見上げた。
「アルバート?」
マリオンの視線を受け止めようとせず、軽く目を伏せたが、やがて眼鏡をすっと指先で押さえると躊躇いがちに口を開いた。
「泣いているかと思いました」
「ど、どうして」
思わず手を引こうとしたら、逆に引き寄せられてマリオンはアルバートの胸になだれ込む姿勢になってしまった。
「泣いたりなんか、しないもの」
そのまま額をアルバートの胸元にこつんと当てて目を閉じた。するとふわりと頭になにかが乗せられた。アルバートの手がそっとマリオンの頭を撫でた。そのままやわらかな髪にアルバートは手の平を滑らせながら頭から肩へ、そして背中へ確かめるように撫でていく。
「プリンセスがわざわざ騎士相手に己を試そうとする話はきいたこともない」
「うん。でもいるじゃない、ここに」
マリオンは顔を上げてアルバートを見つめた。見返す瞳は修練場で見たような厳しい眼差しではなかった。
「最初から…もうとっくから、わかっていたけど」
体を起こして、アルバートの肩に両手をかけて囁く。
「試さなくてもわかっていたの。そうじゃなくて、私はただ知りたかっただけだよ…」
「なにを?」
マリオンは覗き込むように顔を近づけた。答える声が言葉になる瞬間、唇が触れ合う。
「アルバートを」
 腰に回されたアルバートの腕にさらに体を引き寄せられて、マリオンはアルバートの首に両腕を絡めた。
再び唇が重なって離れるとアルバートは呟いた。
「…甘い」
 


「お待たせしましたあッ!」
ルルがティーセットの乗ったワゴンを押してプリンセスの部屋に戻って来たとき。騎士団長は腰に剣帯を回し、バックルを留めているところだった。
プリンセスはその向こう側のソファに座って、すまして冷めきったはずのお茶を飲んでいる。ルルが部屋を出たときと同じ位置だ。彼女は二人を交互に見つめた…というより睨んだ(主に騎士団長の方を)。
「ルル?顔がこわいよ??」
指摘されて、慌てて両手で頬を押さえる。
「え?あ、そ、そそ、そんなことないですよ?」
サーベルを佩き終えた騎士団長は女官をちらりと見下ろした。
「それが普段の顔だと思ったが、違うとは驚きです」
思わず顔が引きつるルルだったが。彼女が口を開く前にプリンセスは椅子から立った。
「ルルはかわいいんだから。変なこと言ってからかわないで」
そしてルルのそばに来ると、彼女の肩をがっしと掴んで「ねー?」と微笑む。
「アルバートがそう思うんなら、きっとシュタインに来てからだわ」
「は?」
「誰かさんのせいで心休まらないんだから、そりゃギスギスもするわよねー?」
ルルは一緒に笑えない。その言葉は自分宛ではなく、プリンセス自身のことなんじゃないか、とルルは思った。実際にはプリンセスはこちらに来てから全体的には「ギスギス」していない。
「女官を使ったあてこすりはやめて頂けませんか、プリンセス」
 プリンセスは、「ふん!」と一度そっぽを向いてからアルバートに視線を戻し、口角を上げてにっと笑う。
 「深読みし過ぎー」
「貴女はまったく…」
眉間を押さえる騎士団長に、ルルは慌てて告げる。
「あ、あのっ。ブルクハルト様、お茶をお持ちしましたが…お帰りですか?」
「用件は済んだ」
「あ…はい。かしこまりました」
軽く腰を落としてドレスの裾をつまみ、お辞儀する。そして二人から離れ、部屋の隅に下がった。

「アルバート。約束だからね」
扉を開ける騎士団長にプリンセスは声をかけた。 アルバートは振り返ってプリンセスを見つめる。
「貴女こそ怖じ気づいて逃げないように」
そして、そっと顔を近づけて囁いた。
「口紅がすっかり落ちてしまっている」
耳まで一気に顔を紅く染めたプリンセスは
「アルバートの馬鹿!」
と、騎士団長を扉の向こうに追い出した。


fin.

初出:2013年8月18日






「プリンセスレッスン?」続編に続きに至る幕間劇。プリンセスと女官のティータイムのひととき…のはずが。
「…甘い」の後はなぁ。30分くらいしかないからムリだろ(なにが?)
本番(えっ)は「プリンセスレッスン?」の続編で!
タイトルはイッタリアーノでオレンジチョコ。文中ではオレンジピールチョコなんだけど、そのままタイトルにすると、長いのでオレンジチョコ。
オレンジピールチョコはうまいです(´ρ`)