Apr 18, 2014

プリンセスレッスン?

その日。
シュタイン王国騎士団修練場のホールはざわめきに包まれていた。
石造りのドーム天井に剣戟の響きは届かず、代わりに騎士達のささやき声がこだまする。

「何を考えてるんですか、貴女は」
騎士団長アルバート・ブルクハルトは、目の前のプリンセスを見下ろしてため息をついた。
「見てるだけじゃつまらなくなって。ゼノ様はいいとおっしゃったわ」
ウィ スタリアの勝ち気なプリンセスは、上目遣いでアルバートを見つめる。彼の常からの冷ややかな眼差し故に、酷薄にさえ見える整った面差しに怯むことなく。一 方、アルバートは甘やかな笑みを湛えたその瞳から逃れるように、彼女の横へ視線を反らした。すると、側仕えの女官ルルは両手を合せてアルバートにお願い! ポーズだ。冗談じゃない。
「また適当なことを言って、ゼノ様の言葉を都合よく解釈したんじゃないのか?」
「またって。なによそれ。そんなことしたことないし。とにかく私にも剣を貸してちょうだい」
 ただでさえ…。アルバートは周りを見渡した。
騎士達は訓練に励むそぶりを見せながら、関心をすっかりこちらに向けている。
このプリンセスが修練場の見学に来ただけで、収まりがつかなくなるというのに。
「体を休めるな。各々、自分の勤めを果たせ」
騎士団長の声が響き、剣を打ち合う音が再び聞こえ始めた。


ウィ スタリアのプリンセスは、シュタインに来訪するなり騎士団員の訓練を見たがった。そしてどういうわけか国王はそれを許した。ときどき自分の主君の考えてい ることがわからない。確かに戦術を見せるわけではないし、団員個々の動きを見てプリンセスが用兵術を予想出来るとは考えられない。
「個人的な好奇心よ」
お茶会やダンスパーティに、その好奇心を向けていろと言いたい。多分、自分の知っているどの姫君よりも姫君らしく、認めたくはないが美しい。ただし、それは黙って立っていれば、という前提付だ。動き回る彼女はまったく持って手に負えない。
プ リンセスが見学に来るようになってから、どういうわけか団員達の動きが目に見えて良くなって来た。それは果たして喜ぶべきことなのか、アルバートは眉を顰 める。士気が高まっていると言えば聞こえはいいが、実際のところプリンセスに対して浮ついた祭り状態と見るのが正しいのだろう。
今のところ近隣諸国との関係は安定し、出兵する予定はない。極めて平和な状況といえる。 だが、油断はしていない。
早くこの状態が落ち着けばいい…それは自分自身にも言えることなのだが。

休憩中の年若い従騎士達のそばを通りかかったときのことだ。
「ウィスタリアの騎士の叙任は、プリンセスが行うらしいぞ」
「いいなあ」
「マリオン様から叙任を受けてみたいな」
「そうだ。陛下がマリオン様をお妃にすれば…」
アルバートの足が止まった。彼の気配に従士達の会話はぴたりと止まり、即座に立ち上がって敬礼する。
「今、何を話していた?」
 整列した従騎士達は、無言のまま立ち尽くす。
「何故答えない?」
アルバートの眼鏡を指で押し上げる仕草とその奥の鋭く冷えた眼差しに、従士達は尚更凍りついた。
「申し訳ありません」
「貴様らの、国王陛下への忠誠が揺らいでいるように見えるのは、俺の気のせいか?」
その後。彼らは他の団員の倍、訓練をすることになったのは言うまでもない。
プリンセスに叙任を受けたいという従士の浮かれた願望ではなく、プリンセスがこの国の妃になれば、という言葉にアルバートの心はざわついたのだった。


「ともかく。正直に言って、貴女がここにいると団員達の訓練の妨げになる。遠慮していただきたい」
アルバートはプリンセスに淡々と告げる。ここは遊び場ではない。
プリンセスは下唇をぐっと噛み、両手を握りしめて俯いた。マリオン様帰りましょう、と、普段はお調子者のルルもマリオンの袖を引き、小さく囁いている。
「私…お遊びで言ってるんじゃないわ」
プリンセスは真直ぐにアルバートを見つめてくる。その透き通る眼差しで、また惑わせる気か。
「素人じゃないもの」
は?何を言い出すのだこの姫は。アルバートが口を開きかけたとき。
「陛下がお見えになられた!」
扉近くの騎士が叫んだ。
群がる騎士達の輪が解け、静まり返ったその中から、シュタイン国王が現れた。 漆黒のマントを翻し悠然とした歩みに、皆、頭を下げてその姿を見送る。

「模擬試合のひとつでもしているかと見に来たのだが…」
「ゼノ様!」
アルバートとマリオンは同時に口を開く。声が重なった途端、2人は顔を見合わせ睨み合うと、お互いの視線を反らせた。
「アルバートに掴まったか」
笑みを含んだ呟きに、マリオンはぱっと顔を上げ、国王ゼノを見上げた。
「ゼノ様、アルバートったらひどいの!全然取り合ってくれないんだから」
何がひどいのだ。ひどいのはそっちじゃないか。
「プリンセスに危険な真似はさせられません。ゼノ様がお許しになっても、プリンセスが怪我をしないとは限らない」
マリオンをねめつけながら、アルバートは進言する。
その言葉にむっとしたマリオンを、ゼノは面白そうに見つめた。
「そんなの!やってみなきゃわからないじゃない。剣じゃなくても歩いていたって怪我するときはするのよ!」
「剣の訓練と散歩を一緒にするな。危険の度合いが違う」
「だから、お散歩以上に私、剣は使えるんだから!」
「何を根拠にそんな大口叩くんだ、貴女は」
「まあ待て、アル」
ゼノの声が アルバートを制する。
「このまま言い争っていても仕方がない。そもそもプリンセスがどれだけ扱えるか見てみれば良いだけの話だろう」
黒い眼帯に隠れ片方だけの深藍色の瞳が鋭く辺りを見渡した。ゼノはホールの隅の方の騎士見習い達をみとめると、アルバートに視線で促した。
「トビアス」
アルバートはその中の一人を呼んだ。はい、と返事するその声はまだ声変わりの来ない、あどけなさが残る赤毛の少年のものだった。こちらに小走りに駆けて来ると深々と敬礼した。
「プリンセスの相手をして差し上げろ」
マリオンはそれを聞いてにっこりとほほ笑んだ。
「よろしくね、トビアス」

マリオンはおもむろにドレスのベルトを外した。ルルが袖を抜くのを手伝う。
ドレスを脱ぎ始めたプリンセスに周囲はどよめく。さすがにゼノとアルバートも目を見開いた。
「このままじゃ不公平ですもの。あなた方がドレス着てくれるなら話は別だけど?」
 ドレスの下から現れたのは、レザーのチュニックに(とても!)丈の短いズボン、そしてニーハイブーツという出立ちだった。長い髪も一つに纏めてきっちりと編んであったのは、動きを邪魔しないためだったのか。
「マリオン様!タイツはいてくださいといったのに!!」
ルルが卒倒しそうな声で叫ぶ。ジル様にはこのことを絶対報告出来ないわ!…プリンセスの無頓着な格好に、心の中で涙を流した。
プリンセスを目の前にして、耳まで赤くしていたトビアスは、更にその姿に釘付けになった。
マリオンはそんな周囲の目をまったく意に介さず、鼻歌まじりで手袋をはめている。
わざとだろう…アルバートは苦虫を噛み潰したような顔でマリオンを睨もうとした。が。どうにも直視出来ない。ドレスとはまた違った体の線がはっきりとわかる服とブーツの間に見える白い太腿が眩し過ぎた。
「この剣を使え」
アルバートは用意させた模擬剣をマリオンに向かって放り投げた。練習用で刃と切先は落としてあるものの、重さは「本番」用とさほど変わらない。
「ありがとう」
マリオンが軽々と受け取ったのを見て、確かに剣を触ったことはあるようだ、と思った。
「剣ってこんなに重かったっけ?さすがに騎士サマが使うのは違うわね」

素人じゃない!と言い張るだけあって、マリオンの剣さばきはそれなりに優れたものだった。といっても相手は10代半ばにも満たない半人前だ。手を抜くな、と言ってはあるが女性に免疫のない少年では、彼女を止めるのは無理かも知れない。
「14になるまで、剣の稽古を受けていたと話していた」
ゼノがぽつりと呟いた。
「騎士の家の生まれだそうだが、跡目がなく家の為に剣を持つことにした、と」
それが巡り巡って、プリンセスとは。ウィスタリアは面白い国だ、とゼノは小さく笑う。
確かに、あの筋金入りのじゃじゃ馬具合はその育ちも関係あるのだろうと、アルバートは頷いた。
なのに、ふとした拍子にひどく儚い顔を見せるのだ。何故か自分と二人きりのときに。今の強気ぶりではけして気づけない、その危うさに目が離せない。
眼前に繰り広げられている模擬試合においては、マリオンの動きはそつがなく美しい。だが、所詮は型通りの演技で実践向けではない。多分彼女自身もそれはわかっているのだろう、だからここで剣を振るってみたいと言いだしたのだ。
「わかりました、ゼノ様」
では、騎士としてふるまってみせようではないか。

マリオンはトビアスから2本先取して、「勝ち」となった。
「ありがとう、トビアス」
マリオンは相手をしてくれた少年従士に、右手を差し出した。再び頬を染めて彼はプリンセスの手を握る。すると。
マリオンはそのまま少年の手を掴んで体を引き寄せ、汗ばむ彼の頬に軽く口づけた。
途端に周囲はどよめいた。羨望の声に包まれて、少年は呆然と頬を押さえて立ち尽くしていた。彼の忠誠心がプリンセスに大きく傾いた瞬間だったかも知れない。
その様子を見ていた王と騎士団長の視線には、明らかに差があった。興味深げに眺めるゼノと憮然と少年を見据えるアルバートの様子に、気づいたものはいなかった。
「なかなか見事なものだな。面白いものを見せてもらった」
ゼノの言葉に、マリオンはプリンセスらしく左の膝を軽く落としてお辞儀する。
「こちらこそ、機会を与えてくださいましてありがとうございます」
「なんだ、それでもう満足なのか」
苦々しい響きを含んだ声がマリオンの耳に届く。顔を上げると、ゼノの隣のアルバートと目が合った。
「せっかく相手して差し上げようと思ったのに」
眼鏡を指先で押し上げる仕草に、マリオンはふんッと横をむく。
「さっきまで散々ダメだダメだ言ってたくせに」
じろりとアルバートを睨んでくるけれど、それがどうしたと軽く見返す。
「ゼノ様ご自身の言葉に従い、事実を確認したまでだ」
 それを聞いた途端、プリンセスの顔に血が上って行くのが見て取れる。
「いいわ!それではアルバート。お相手して頂こうじゃないの!」
あわててルルがマリオンの体を押しとどめようとしたとき。
いつのまにかやって来ていた宮臣達が、彼らの前に進み出た。
「陛下、次の公務のお時間でございます」
お支度を、と叩頭する。
「ああ。残念だな。俺はもう行くが、気が済むまでアルと手合わせしてもらえ」
「ゼノ様!」
「プリンセスの相手は、お前が適任だろう?」
言い返そうとするアルバートを視線で制し、国王は宮臣を従え去って行こうとしたが、思い出したように振り返ってマリオンに告げた。
「あまり懸命になりすぎるなよ、プリンセス」


to be continued...


初出:2013年8月11日